朝日新聞デジタル:東電会見「出入り禁止」 音声生中継のフリーライター - 社会

木野さんは6月27日夕の会見以降、出席が認められていないといい、取材に対し、「原発事故で国民に損害を与え、税金投入で事実上の国有化が進む中、株主総会の映像や音声を公開できないこと自体に問題がある」と話した。

人喰い生物 対 覆面人間 | デモについて 國分功一郎 ...

<p>デモについて</p>

<p>國分功一郎</p>

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 私は学者の端くれであって社会運動家ではないし、研究しているのも哲学であって社会運動史ではないので、デモについて深く広がりのある話をすることはできない。ただ、全くの偶然から、デモが盛んな某国について少々知識を得ることがあったので、そこから考えたことをここに記しておきたいと思う。</p>

<p> デモが盛んな某国とはフランスである。私は2000年から2005年までフランスのパリに留学していた。先に「全くの偶然から」と書いたが、その偶然とは私が住んでいた場所のことである。私はパリの東側にあるナシオン(Nation)という駅のすぐ近くに住んでいた。この駅がデモと何の関係があるかと言うと、この駅の広場がパリで行われるほぼ全てのデモの終着点だったのである。</p>

<p> 日曜日、パリだけではないがヨーロッパの街は静かである。やることがない。開いているのは教会と映画館ぐらいである。私もだいたい部屋にこもって本を読んだり、テレビを見るというのが常だった。そんな静かな日曜の午後、時折、「ゴー」っと言う音が迫ってくることがある。「なんだ?」と思って窓を開くと広場に厖大な数の人が集まっている。デモである。</p>

<p> パリのデモはだいたいパリの北部を西から東へぐるっと回るように進み、ナシオンにやってくる。だから、ナシオンに住んでいた私は、あの五年間にパリで行われたデモはほぼすべて見ていると思う。</p>

<p> さて、デモが来たなと思うと、だいたい見に行く(日曜日は暇なので)。先頭がナシオン広場に到着しても、後続部はまだまだずっと遠くだ。というわけで、多くの場合、私はデモの流れとは反対に先頭から後ろに向かって歩き、デモの様子を見て回っていた。</p>

<p> パリのデモを見て最初驚いたのは、ほとんどの人が、ただ歩いているだけだということである。横断幕を持ってシュプレヒコールを挙げている熱心な人もたくさんいる。しかし、それは一部である。多くはお喋りをしながら歩いているだけ。しかもデモの日には屋台が出るので、ホットドッグやサンドイッチ、焼き鳥みたいなものなどを食べている人も多い。ゴミはそのまま路上にポイ捨て。</p>

<p> デモが終わると広場で代表者みたいな人が何か演説することもある。それを聞いている人もいれば、聞いていない人もいる。みんななんとなくお喋りをして、ナシオン駅から地下鉄に乗って帰って行く。</p>

<p> さてデモはこれで終わりだが、実は、私のような見物人にとってはまだまだ面白いことが続く。デモが終わったと思うと、デモ行進が行われた大通りの向こうから、何やら緑色の軍団が「グイーン」という音をたてながらこちらに向かってくるのだ。何だあれは!</p>

<p> あれはパリの清掃人の方々、そして清掃車である。彼らは緑色のつなぎを着て、プラスチック製の、これまた緑色の繊維を束ねたホウキ(要するに日本の竹ぼうきをプラスチック製にしたもの)で路上のゴミを集めながらこちらに向かってくる。その後ろをゆっくりと進んでくるのが数台の緑色の清掃車。そのフロント部には二つの大きな回転式たわしのようなものがついていて、それが「グイーン」という音をたてながら、清掃人たちが集めたゴミを次々に吸い込んでいく。</p>

<p> デモの最中、ゴミはポイ捨てなので、デモが行進した後の路上はまさしく革命の後のような趣になる(単にゴミが散らかっているだけだが)。しかし、彼らパリ清掃軍団がやってきて、あっという間に何事もなかったかのように路上はきれいになるのだ。パリ清掃軍団の清掃能力はすごい。彼らは毎夕、街を清掃している。そうして鍛え上げられた清掃能力がデモの後片付けを一瞬にして終えるのである。これはどこか感動的である。</p>

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 パリのデモがゴミをまき散らしながらズンズン歩くという事実は、デモの本質を考える上で大変重要であると思う。</p>

<p> デモとはdemonstrationのことであり、これは何かを表明することを意味する。何を表明するのだろうか。もちろん、デモのテーマになっている何事か(戦争に反対している、原発に反対している…)を表明するのであるが、実はそれだけではない。</p>

<p> デモにおいては、普段、市民とか国民とか呼ばれている人たちが、単なる群衆として現れる。統制しようとすればもはや暴力に訴えかけるしかないような大量の人間の集合である。そうやって人間が集まるだけで、そこで掲げられているテーマとは別のメッセージが発せられることになる。それは何かと言えば、「今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージである。</p>

<p> パリのデモでそれぞれの人間がそんなことを思っているということではない。多くの人はなんとなく集まっているだけである。だが、彼らが集まってそこを行進しているという事実そのものが、そういうメッセージを発せずにはおかないのだ。</p>

<p> デモは、体制が維持している秩序の外部にほんの少しだけ触れてしまっていると言ってもよいだろう。というか、そうした外部があるということをデモはどうしようもなく見せつける。だからこそ、むしろデモの権利が認められているのである。デモの権利とは、体制の側が何とかしてデモなるものを秩序の中に組み込んでおこうと思って神経質になりながら認めている権利である。「デモの権利を認めてやるよ」と言っている体制の顔は少々引きつっていて、実は、脇に汗をかいている。</p>

<p> すこし小難しいことを書いているように思われるかもしれない。しかし、これは単なる私の実感として出てきたものだ。パリのあの群衆を見ていると、「こんなものがよくふだん統制されているな」とある種の感慨を覚えるのだ。「こんなもの」がふだんは学校に行ったり、会社に行ったりしている。それは一種の奇跡であって、奇跡が日常的に行われている。</p>

<p>ここからデモの後のあのゴミについて考えることができる。なぜパリのデモはゴミをまき散らすのか。デモはほんのすこしだが秩序の外に触れている。だから、ゴミをまき散らしながら、日常の風景を書き換えていくのである。あのゴミの一つ一つが、秩序のもろさの証拠である。だからこそ、その証拠はすぐに跡形もなく片付けられるのだ。日常的に奇跡が起こっているという事実は知られてはならないのである。</p>

<p> 最近、日本では脱原発をテーマに掲げたデモが社会的関心を集めるようになってきた。自身も積極的にデモに参加している哲学者の柄谷行人が、久野収の言葉を引きながらデモについてこう言っている——民主主義は代表制(議会)だけでは機能しないのであって、デモのような直接行動がなければ死んでしまう(「反原発デモが日本を変える」。〈柄谷行人公式ウェブサイト〉より)。</p>

<p> 私は柄谷の意見に賛成である。だが、少し違和感もある。なぜならデモは、民主主義のために行われるわけではないからだ。民主主義という制度も含めた秩序の外にデモは触れてしまう。そうした外を見せつけてしまう。だからこそ体制にとって怖いのだ。民衆が路上に出ることで民主主義が実現されるというのは、むしろ体制寄りのイメージではないだろうか。この点は実はデモをどう組織していくかという実践的な問題に関わっているので、次にその点を考えよう。</p>

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 日本の脱原発デモについて、何度かこんな話を聞いた。デモに来ている人たちは原発のことを理解していない。彼らは何も分かっていない。お祭り騒ぎがしたいだけだ、と。</p>

<p> 先に紹介したパリでの経験を踏まえて、私はそういうことを言う人たちに真っ向から反対したい。</p>

<p> デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである。だから、デモに参加する人が高い意識を持っている必要などない。ホットドッグやサンドイッチを食べながら、お喋りしながら、単に歩けばいい。民主主義をきちんと機能させるとかそんなことも考えなくていい。お祭り騒ぎでいい。友達に誘われたからでいい。そうやってなんとなく集まって人が歩いているのがデモである。</p>

<p> もちろんなんとなくと言っても、デモに集まる人間に何らの共通点もないわけではない。心から原発推進を信じている人間が脱原発デモに参加したりはしない。彼らは生理的な嫌悪感を持つはずである。逆に言えば、脱原発という主張に、なんとなくであれ「いいな」と思う人間が集まるのが脱原発デモだろう。</p>

<p> デモのテーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないなどと主張する人はデモの本質を見誤っている。もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることこそが重要なのだ。</p>

<p> フランス人はよく日本のストライキをみて驚く。「なんで日本人はストライキの時も働いているの?」と言われたことがある。何を言っているのかというと、(最近ではこれはあまり見かけないけれど…)ハチマキをしめて皆で集会をしながらシュプレヒコールを挙げている、あの姿のことを言っているのである。ストライキというのは働かないことなのだから、家でビールでも飲みながらダラダラしているのがストライキというのがフランス人の発想である。私はこの発想が好きだ。</p>

<p> デモも同じである。デモにおいて「働く」必要はない。高い意識を持ってシュプレヒコールを挙げたり、横断幕を用意したりしなくていい。団子でも食いながら喋っていればいい。ただ歩いていればいい。なぜなら、単に群衆が現れることこそが重要だからだ。</p>

<p> すると、ここでおなじみの問題に突き当たらざるを得ない。なぜ日本ではデモに人が集まらないのかという問題である。もちろん脱原発デモには多くの人が参加した。だが、日常的に大規模デモが行われているフランスと比べるとその違いは著しいように思われる。私はこの問いに最終的な答えを出すことはできない。だが、ヒントになる考えを一つ紹介したいと思う。</p>

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 格差社会・非正規雇用増加・世代間格差……現代日本の若者を取り巻く状況は非常に厳しいと言われている。それにもかかわらず、彼らの生活満足度や幸福度を調査すると、この四十年間でほぼ最高の数値が現れる。つまり今の若者たちは自分たちのことを「幸せだ」と感じている——このような驚きの事実を、豊富な文献と実に鋭い分析、そして小気味よい文体をもって論じたのが、昨年話題になった古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)である。</p>

<p> 古市はこうした若者の状態をコンサマトリーという言葉で形容した。コンサマトリーとは自己充足的という意味である。せっかくだからすこし学術的に説明しよう。コンサマトリーはタルコット・パーソンズという社会学者が用いた概念であり、インストゥルメンタルという言葉と対になっている。</p>

<p> インストゥルメンタルはある物事をツールとして用いて、何らかの目的を目指す状態を指す。たとえばツイッターを情報交換や情報収集のツールとして用いるなら、その人はツイッターインストゥルメンタルに関わっていることになる。</p>

<p> それに対しコンサマトリーとは、ある物事それ自体を楽しむことを意味する。同じくツイッターの例でいけば、ツイッターで情報交換すること、投稿することそれ自体を楽しんでいるのなら、その人はコンサマトリーにツイッターと関わっていることになる。</p>

<p> かつて若者は、輝かしい未来を目指して、今の苦しさに耐えることが求められた。これは「今」というものにインストゥルメンタルに関わることを意味するだろう。ならば古市が指摘するコンサマトリーな若者たちは、「今」を手段とみなさず、それを楽しんでいるのだと言うことができる。</p>

<p> 実は若者のコンサマトリー化はかなり以前から指摘されていたらしい(筑紫哲也は八〇年代初頭に当時の若者を指して「半径二メートルだけの視野」「身のまわり主義」などと言っていたそうである)。そして当然、それを指摘する人々はそのような若者のあり方を嘆いていた。</p>

<p> それに対し古市は、こうしたコンサマトリーな生き方はそれはそれでいいではないかと言う。私もそう思う。人に、「今」を手段として生きることを強いるなどというのは恐ろしい傲慢である。実際、経済発展という目的に向かいながら、人が自分の生にインストルメンタルにしか関われないような社会を、日本はある時から反省してきたのではなかっただろうか。今の若者のコンサマトリーな生き方にはむしろ、見るべき点が多いとすら言うべきではないか。</p>

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 しかし、もちろんこれを言うだけでは不十分である。これでは単に現状肯定しているように受け止められてしまうだろう。古市は一部からそのような主張の持ち主と見なされているのだが、全くの誤解である。 実際に『絶望の国の幸福な若者たち』を読んでみると、もう一つ、別の大切なことが書いてあるのに人は気付くはずである。それがモラル・エコノミーという概念だ。</p>

<p> これは民衆史の研究から出てきた概念である。それによれば民衆は「モラル・エコノミー」と呼ばれる独自のルールを持っている。民衆が立ち上がるのは、その独自のルールが侵された時が多いのだと言う。たとえば江戸時代の「打ち壊し」、大正期の「米騒動」がその典型例である。どちらも買い占めなどによる米価の値上げが彼らの独自のルールを侵したために起こった。</p>

<p> 世界のどこか遠くで起こった不幸な出来事について突然語られても、人は驚くか、その場で悲しんで終わりになってしまうかもしれない。しかし、自分たちの日常に関わるとなれば、コンサマトリーな若者でも動き出す可能性があると古市は言う。</p>

<p> たとえば、多くのひとはいきなり「中国の工場における農民工搾取問題」と言われても何の関心ももたないだろう。けれど、iPhoneユーザーに対して「あなたが持っているiPhoneを製造した工場で労働者の連続自殺が問題になっている」という情報の提示の仕方だったらどうか。さらに、そのiPhoneユーザーの年齢にあわせて、「昨日死んだのは、あなたと同じ年齢の一九歳の若者でした」という情報が、写真付きで届けられたらどうか。「ちょっとくらいは別の国の、出会ったたこともない労働者のことを想像するかも知れない」。</p>

<p> 人々を立ち上がらせるのはモラル・エコノミーの侵害だけではないだろうが、しかし、これは大切な回路である。そしてもう一つ大切なのは、最後の最後にならなければ自分のモラル・エコノミーの侵害に気がつかないという事態も多く存在するということである。</p>

<p> 身近なところと遠いところ、少し難しく言えば、コンサマトリーな親密圏と問題が起きている公共圏とを繫ぐ何かが必要である。その何かは様々なものであり得る。原発事故であれだけの人が立ち上がったことを考えると、意外にちょっとした工夫で事態は大きく動くのではないかという気もしている。</p>

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Dr.中川のがんの時代を暮らす:/41 科学的判断を− 毎日jp(毎日新聞)

Dr.中川のがんの時代を暮らす:/41 科学的判断を

毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊

 被災地の復興を妨げている「がれき」は、岩手県で525万トン、宮城県では1154万トンに上ります。県内だけで処理するにはあまりに膨大な量で、両県は、ともに約120万トンの「広域処理」の依頼をしています。特に、宮城県石巻市周辺のがれきは宮城県の4割にあたる446万トンに達し、岩手県の総量に匹敵します。

 さて、北九州市は、石巻市のがれきを受け入れる準備を進めており、先月23〜25日に石巻から搬入したがれきの試験焼却を実施しました。しかし、前日の22日朝、石巻のがれきを積んだトラックが北九州市の保管施設を目前に、立ち往生してしまいました。一部の過激な運動家など反対派約50人が、横断幕を掲げてスクラムを組んだり、正面ゲート前に座り込むなどして、搬入に抵抗したからです。市職員や福岡県警の警察官ともみ合いになり、男性2人が公務執行妨害の疑いで逮捕され、トラックは予定より8時間以上遅れて施設内に入りました。

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 一方、北九州青年会議所が3月、市民737人を対象に実施したアンケートでは、がれき受け入れに賛成が69・7%、反対は8・4%となり、「痛みは分かち合うべきだ」「積極的に協力すべきだ」など、受け入れに前向きな意見も寄せられたといいます。しかし、こうした「マジョリティー(多数派)」の「サイレント(静か)」な声は目立ちません。声の大きな少数の意見が「民意」とされるとすれば、民主主義のルールに反すると思います。

 試験焼却の結果は、28日に公表されましたが、煙突からの排ガスや燃え残った主灰から、放射性セシウムは検出されませんでした。放射性物質を多く含むとされる飛灰についても、最大で1キロあたり30ベクレルと、国の埋め立て基準値8000ベクレルをはるかに下回りました。人体には、天然の放射性物質カリウム40が含まれ、体重1キロあたり70ベクレル程度の放射能を持っており、がれきの放射能は問題にならないと考えられます。科学的な判断と「お互い様」の気持ちが広がれば、と思います。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)

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しかし、残念ながら私達は、東京電力は嘘をつく会社である、ということを知っています。これは、3.11 以前の様々な事故隠しで知られていたことですが、 3.11 以降の事故の重大性や放出した放射性物質の量の当初数週間の発表で、事故後も同じやり方で嘘をついてることが明らかになっています。

ニュースUP:「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言=社会部・牧野宏美 - 毎日jp(毎日新聞)

ニュースUP:「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言=社会部・牧野宏美

 <おおさか発・プラスアルファ>
 ◇弱き人々の側に立て

 神戸大教授だった故中川保雄さんの著書「放射線被曝(ひばく)の歴史」が福島第1原発の事故後に脚光を浴び、10月に復刊した。病床でこの本を手がけ、20年前に48歳で亡くなった中川さんは生涯を懸けて何を訴えようとしたのか。妻で、遺志を継ぎ兵庫県宝塚市で反原発運動を続けている英文学者の慶子さん(69)を訪ねた。

 ■過小評価を告発

 「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う」。放射線被曝の人体への影響が過小評価されてきた歴史を告発した本の中で、20年前に書かれたこの言葉が今、重く響く。

 「福島の事故以降、原発や被曝について、あちこちから講師に呼ばれることが多くなった。空いてる日がないくらいなの」。宝塚市内の自宅で、慶子さんはおっとりとした口調ながら、複雑な表情を見せた。リビングには生前の中川さんの写真が飾られ、仏壇に復刊した本が供えられている。「もし夫が生きていたら事故にものすごくショックを受け、忙しく飛び回ってまた体を壊してたかもしれませんね」

 中川さんが反原発運動に本格的に取り組むようになったのは79年の米スリーマイル島原発事故がきっかけだ。80年に研究者仲間と「反原発科学者連合」を結成し、各地で学習会を開いたり、原発の下請け労働者の実態を調べた。81年には慶子さんを誘い、自宅のある宝塚市で市民団体「原発の危険性を考える宝塚の会」をつくった。中川さんが国内外を飛び回り多忙を極める一方、慶子さんは仕事と子育てをしながら、地元で無農薬野菜の共同購入をしていた友人らと学習会を開くなどした。

 ■20年前の名著に光

 「放射線被曝の歴史」は91年出版。工学博士で科学技術史を専攻していた中川さんが87年に渡米して入手した資料などから、国際的権威とされる国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護基準がどのように作られ、変遷したかを丹念にひもといている。

 著書によると、ICRP原子力開発を推進する米国の強い影響を受け結成された。中川さんは、防護基準について「ヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクがやむをえないもので我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準。原子力開発の推進策を政治的に支える手段だ」と厳しく批判。一貫して、原発労働者や子どもら「社会的に弱い立場にある人たち」の側に立ち、防護基準のもとになった原爆傷害調査委員会(ABCC)の被爆影響の過小評価の問題や、原発事故の危険性を鋭く指摘する。

 絶版になっていたが、事故後、ICRP勧告をもとに政府が設定した年間被曝線量の上限値が高すぎるなどの声が高まる中、インターネット上で話題になり、ネットオークションでは数万円の高値がついた。東京大の島薗進教授(宗教学)は自身のツイッターで「早急に復刊すべきだ。なぜ多くの『専門家』が理解困難な放射能安全論を説くのか理解しやすくなるはず」などと評価した。米国の核戦略を研究する広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師(アメリカ史)は「原爆投下時の残留放射線などの過小評価が現代にもつながっていることがよく分かる。『科学的』とされる情報に疑問を持つことから出発していて、研究者として人間として強く共感した」と話す。6月に出版社から慶子さんに復刊の打診があり、中川さんの研究者仲間が加筆し出版することになったという。

 ■痛みに耐えながら

 中川さんは奈良県出身。61年に大阪大工学部に入り、応用物理学を学ぶ傍ら、ベトナム反戦運動などにも関わった。文学部の同級生だった慶子さんとは学内の合唱団で知り合う。「思慮深く実行力があって、魅力的な人でした」。2人とも大学院に進み、67年に結婚、慶子さんは私立大の教員になった。博士課程を終えた中川さんは大阪府の教職員研修施設に就職し、科学技術史に専攻を変えた。78年に神戸大の講師になった。

 しかし、90年秋に末期の胃がんと分かる。当時、研究の集大成となる「放射線被曝の歴史」を執筆中だった。医師に告知を止められた慶子さんは、「完成させないまま亡くなったら後悔する」と3日間寝ずに悩んだ末、伝えたという。

 中川さんは激しい痛みに耐えながら病床で口述、慶子さんがワープロに入力した。入稿を終えた91年5月に死去。慶子さんと息子2人が校正した。「読み進めるたびに胸が詰まり、泣いてばかりいました」。原発を止めなくてはいけない、という気持ちがますます強くなったという。宝塚の会の代表を引き継ぎ、20年間こつこつ活動を続けてきた。

 「中川さんは私たちの中で生きている」。11月、復刊と没後20年を記念する集いが大阪市内であり、ともに運動した研究者や市民、原爆被爆者ら約50人が集まった。「福島での健康調査は不十分」など事故の対応を批判する声も多く出た。慶子さんは「夫もどこかから見ている。今頑張らないとね」と自らを奮い立たせるように言った。

 事故後の社会は、最も弱い立場の人たちをきちんと「遇して」いるだろうか。集いからの帰り道、私は中川さんの言葉を思い出し、自分自身に問いかけた。「増補 放射線被曝の歴史」は2415円、明石書店(03・5818・1171)。

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玄海原発:冷却水漏れ1.8トン 九電公表せず - 毎日jp(毎日新聞)

玄海原発:冷却水漏れ1.8トン 九電公表せず
1次冷却水漏れのトラブルを起こした玄海原発3号機=佐賀県玄海町で2011年12月10日、本社ヘリから加古信志撮影
1次冷却水漏れのトラブルを起こした玄海原発3号機=佐賀県玄海町で2011年12月10日、本社ヘリから加古信志撮影

 九州電力は9日深夜、定期検査中の玄海原子力発電所佐賀県玄海町)3号機で、1次冷却水の浄化やホウ素濃度調整をするポンプから1次冷却水1.8トンが漏れたことを明らかにした。九電は当初ポンプの温度上昇のみを同日午後3時半以降に佐賀、長崎両県や報道各社に伝えたが、1次冷却水漏れは公表しなかった。

 九電によると、9日午前10時48分、3号機の充てんポンプ3台のうち稼働中だった1台で、通常は30〜40度の温度が80度以上に上昇して警報が鳴った。このため、休止していた他のポンプに切り替えた。1次冷却水はコバルトなどの放射性物質を含んだ汚染水で、原子炉補助建屋内のピットと呼ばれる回収ますに出たが、回収。外部への影響はないという。

 3号機は昨年12月11日に定期検査入り。原子炉内には燃料が装着されており、冷温停止状態を保つために冷却水を循環させていた。九電は高温になった原因は、冷却水不足や1次冷却水の不良などの可能性があるとみて調べている。

 九電は、温度上昇の警報が鳴った約4時間半後の9日午後3時半以降に佐賀、長崎両県、同6時ごろに報道各社にポンプの異常のみを知らせた。汚染水漏れについては、報道機関の問い合わせに、事実関係を認めていた。九電によると、汚染水漏れが設備内にとどまっているケースでは法規上、公表する必要はないという。九電は「1次冷却水の漏れは原子炉補助建屋内にとどまっており、広報する必要はないと判断した」と説明した。

 経済産業省原子力安全・保安院も、今回のポンプの異常や冷却水漏れは、法令による報告義務の対象にあたらないとしている。ただし、九電からは、警報が鳴ってすぐにポンプを停止し、冷却水が外部に漏れていないことや、モニタリングデータに問題がないとの報告があり、原因を調査することを確認したという。【中山裕司、竹花周】
 ◇玄海町への連絡は10日朝

 玄海原発3号機の1次冷却水漏れトラブルについて、九電から地元の玄海町に事実関係の連絡があったのは10日朝になってから。周辺自治体には報告がなく、九電はどこから漏水したのかも明らかにしていない。安全性に問題があるのか分からず、情報を公開しない九電に自治体や住民は不信感を募らせている。

 九電は9日午前10時50分ごろに発生した3号機のポンプの異常について、同日午後3時半以降に佐賀、長崎両県などの関係自治体に伝えた。しかし、1次冷却水が漏れていたことは報告していなかった。

 玄海町の岸本英雄町長は10日、取材に対し、1次冷却水漏れの連絡が九電からあったのは同日朝だったことを明らかにし、「情報提供は遅れずにきちんとしてほしい」と苦言を呈した。また「冷却水は建物の外部には漏れていないようなので、心配は薄い」と話した上で、「故障で水が漏れることは考えられるが、1.8トンは量が多すぎる」と懸念も示した。

 市民団体「プルサーマル佐賀県の100年を考える会」の野中宏樹共同世話人は「福島原発事故以降、住民は放射能の問題に敏感になっているのに、情報を公開しないのは九電の企業体質が変わっていないことを示している」と憤る。

 県についても「県民の命と安全を守るために、ささいな情報でも把握しておくべきだ。九電を監視するという機能を果たしていない」と批判したが、古川康知事は取材に「コメントはない」と述べるにとどまった。

 一方、玄海原発から30キロ圏の福岡県糸島市や最短8キロにある長崎県松浦市には冷却水漏れは報告されていない。糸島市の松本嶺男市長は「最初はポンプの異常で大したことないとの報告を受けたが、汚染水が漏れるなど想定していなかった。事実の一部しか公表しないのはいかがなものか」と批判。松浦市住民団体玄海原発と日本のエネルギー政策を考える会」の宮本正則会長も「またか、と言った感じ。これが外部への放射性物質漏れ事故だと思うとぞっとする」と怒りをあらわにした。

 玄海原発で問題があった場合、九電は立地自治体である佐賀県玄海町と安全協定を結んでおり、協定で定められたトラブルについては連絡することになっている。だが協定を締結していない自治体への連絡義務はなく、福島原発事故放射能被害が広範囲に及んだことを受け、同原発から30キロ圏内の自治体から協定締結や速やかな連絡を求める声が相次いでいる。【原田哲郎、竹田定倫、野呂賢治】

毎日新聞 2011年12月10日 11時32分(最終更新 12月10日 14時04分)

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