2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『ローマ史』55-08

ティベリウス*1はグナエウス・ピソ*2と共にコンスル*3となったその年*4の初日にクリア・オクタウィアエ*5に元老院を召集した。そこがポメリウム*6の外にあったからだ。ティベリウスが自分とドルスス*7の名前を記すためにコンコルディア神殿*8の修復の任務を…

『ローマ史』55-07

しかし、マエケナス*1が死に、悲嘆に暮れた。アウグストゥス*2はマエケナスのおかげで多くの利益を得たので、エクイテス*3であったが、長い間首都の監督を任された。だがマエケナスの特別な功労はアウグストゥスが気持ちを多少とも制御できなくなった時に発…

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ポイティンガー図 2027 × 97 ピクセル File:Tabula Peutingeriana Complete.jpg - Wikimedia Commons This image (or other media file) is in the public domain because its copyright has expired. This applies to the United States, Canada, the Europ…

『ローマ史』55-06

この後アウグストゥス*1の2度目の10年任期が完了したので、もう一度最高権力*2を受理した。それを所持する希望を公にしていたにも関わらず、渋って見せた。ゲルマニアへの軍事行動が計画されたが自らはローマの領域に残り、ティベリウス*3がレヌス河*4を渡っ…

『ローマ史』55-05

しかし翌年*1アシニウス・ガッルスとガイウス・マルキウスがコンスル*2を務めた年、アウグストゥス*3は公式に帰都し、慣習*4に反して月桂樹*5をユーピテル・フェレトリウス神殿*6に奉納した。彼自身の前述の功績を祝う祝祭は行わなかった。勝利によって得た…

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元画像 File:SPQRomani.svg - Wikimedia Commons Public domain I, the copyright holder of this work, hereby release it into the public domain.This applies worldwide. In case this is not legally possible: I grant anyone the right to use this w…

『ローマ史』55-04

アウグストゥス*1が制定した上述の法律やそれ以外の法律は刻版に記され、最終決定に持ち出される前に元老院で公表された。元老院は2人ずつ部屋に入って閲覧することを許され、規定が気に入らなかったり、よりよい助言が可能な時には、発言しただろう。アウグ…

『ローマ史』55-03

アウグストゥス*1は元老院の開会日を固定させた。以前は期日の明確な規定は無かったので、しばしば議員が欠席していた。月に2回の定例会議を定めることによって、少なくとも法で召喚された人々は出席しなければならないという圧力を感じるになった。また彼ら…

『ローマ史』55-02

アウグストゥス*1はドルスス*2の病気を知るとすぐに(というのも彼は遠くにはいなかったから)、ティベリウス*3を彼の元へ急いで送った。ティベリウスはまだドルススの息があるうちにまみえた。彼が死ぬと遺体をローマに運んだ。旅程の最初期の軍団の冬季陣…

『ローマ史』55-01

翌年*1ドルスス*2は, ティトゥス・クリスピヌスとともにコンスル*3になった。そして、悪い兆候が起こった。多くの建物が嵐や落雷によって破壊された。被害のあった建物には多くの神殿が含まれ、ユーピテル・カピトーリヌス*4と彼と共に祀られた神々の神殿さ…

『ローマ史』00-00

英日訳です。 カッシウス・ディオ - Wikipedia 底本 Cassius Dio — Book 55 Dio's Rome, Volume 4 by Cassius Dio Cocceianus - Free Ebook