ローマ史第2巻-102節 ガイウスとルキウスの死

その時パルティア王を通して、マルクス・ロッリウスの反逆の陰謀がカエサルに明らかにされ、彼の悪賢い偽りの心が明るみに出た、アウグストゥスは彼にまだ若い息子の助言者となることを望んでいた。うわさは外国にまで広まった。数日のうちに起こった彼の死が偶然であるか、意図的なものであったかどうかわからない。 しかし人々がこの死で感じた喜びは、ずっと後の男たちの愛情を勝ち取るために生まれた男、ケンソリヌスの同じ属州での死において国家が感じた悲しみに匹敵した。それからガイウスはアルメニアに入り、最初は成功裏に軍事行動を指揮した;しかし後に、アルタゲラ近くでの和平交渉で、軽率にも自分の性格のままに委ねたので、アッドゥウスという名前の男に重傷を負わされた、そしてその結果、体を活発に動かせなくなり、国家に奉仕しようとする心も減少した。お世辞によって彼の欠点を助長する人々との交際に欠けることはなかった − なぜならお世辞を言う者は常に協力して高い地位に付随するからである − 結果として彼はローマに戻るよりも遠く離れた世界で人生を過ごすことを望んだ。 それから、イタリアに戻る最中に、長い抵抗の後に彼の意志に反してリミュラ*1と呼ばれるリュキアの都市で死んだ*2、弟のルキウスは約1年前にヒスパニアに行く途中、マッシリア*3で死んでいた*4

*1:

*2:紀元4年

*3:

*4:紀元2年