『ローマ史』55-04

アウグストゥス*1が制定した上述の法律やそれ以外の法律は刻版に記され、最終決定に持ち出される前に元老院で公表された。元老院は2人ずつ部屋に入って閲覧することを許され、規定が気に入らなかったり、よりよい助言が可能な時には、発言しただろう。アウグストゥスが確かに政治的平等を重視したことは1,2の事件によって例証される。かつて、彼と軍務を共にしたことのある人物から代弁者としての支援を求められたとき、アウグストゥスは、はじめ多忙を装い、友人の1人にその人物の代わりに発言するよう命じたが、その請願者は立腹して言った。
「ですが私は、あなたが私の支援を必要とされたときは何時も、自分の代わりに他人を送るようなことはしなかった。そしてあらゆる場所であなたの代わりに私自身の身を危険にさらしました。」
その後皇帝は法廷に入廷し、その友人の訴訟を弁護した。アウグストゥスはある訴訟で被告となった友人を弁護しもしたが、あらかじめ元老院に目的を伝えていた。友人を助けた後も、原告の率直すぎる弁論にもかかわらずこの男に対して怒りを持つことはなかった。後に同一人物が品行を調査されるためにケンソル*2としてのアウグストゥスの前に現れた時、皇帝は、他人の率直さはローマ人の大多数が下劣なので必要だ、と公然といって無罪を宣告した。しかし、アウグストゥスは彼に対して陰謀を企んでいると報告された他の人々を処罰した。クアエストル*3に首都付近の海岸沿いやイタリアの他の数箇所を担当させることもした。これは長年に渡って実施され続けた。当該時期には、前述のようにアウグストゥスはドルスス*4の死が理由で首都に入ろうとしなかった。