『ローマ史』55-03

アウグストゥス*1元老院の開会日を固定させた。以前は期日の明確な規定は無かったので、しばしば議員が欠席していた。月に2回の定例会議を定めることによって、少なくとも法で召喚された人々は出席しなければならないという圧力を感じるになった。また彼らに欠席するための別の口実を与えないために、アウグストゥスは当該期間に出席を求められる法廷や他の会議を開催せぬよう命じた。アウグストゥスは法律の種類ごとに元老院議員の議決数を固定する法を定めて、その問題を簡潔にした。また、十分な理由無く会議を欠席した者への罰金を増額した。だが処罰の対象者の多くが概して処分を免れるようになったので、もし大勢が有罪ならば、籤を引いて5分の1の確率で当たった者が罰金を払うよう命じた。アウグストゥスは刻版に全ての元老院議員の名前を記し公表した。これは彼によって始められ現在も毎年実施されている。これらは元老院議員に出席を強いるための手段だった。
時々事故のせいで必要なだけの人数が召集されないことがあった。そこで、皇帝自身が出席した時を除く全ての会議で、出席者の人数がその時と後でもう一度正確に確かめられた。元老院議員は審議を継続し決定は記録されたが、通常通り可決されたときのようには効力を発揮しなかった。代わりにそれは彼らの「意志」を知らしめる目的でアウクトリタス*2と名付けられた。それがこの言葉の一般的な意味であるが、ひと言でギリシア語に翻訳することはできない。同じ慣習が、緊急の場合、通常の場所以外の場合、指定日以外の場合、法による召集がない場合、トリブーヌス*3の反対によって可決されなかった場合に広く行われたが、意見が非公表になることは望まれなかった。後に決議は判例によって承認され、セナートゥス・コンスルトゥム*4となった。この方法は古の人々によって長い間厳密に継続したが、プラエトル*5の特権にもなると共にある意味では無効になった。というのもプラエトルはトリブーヌスの上位に位置するにもかかわらず、元老院に提案することができないことに憤慨しており、アウグストゥスからその権利を得たが時間がたつと再び奪われた。