『ローマ史』55-08

ティベリウス*1はグナエウス・ピソ*2と共にコンスル*3となったその年*4の初日にクリア・オクタウィアエ*5元老院を召集した。そこがポメリウム*6の外にあったからだ。ティベリウスが自分とドルスス*7の名前を記すためにコンコルディア神殿*8の修復の任務を請け負った後、凱旋式を挙行し母親と一緒にマケッルム・リウィアエ*9と呼ばれる地区を捧げた。ティベリウスはカピトーリウム*10元老院議員を歓待し、リウィアはどこかそこらで自分で女達をもてなした。少し後にゲルマニアの属州で騒動があり、ティベリウスは戦端を開いた。アウグストゥス*11の帰還を祝う祝祭はティベリウスの代わりにガイウス*12がピソの補佐を得て取り仕切った。カンプス・アグリッパエ*13とディリビトリウム*14アウグストゥス自身によって公共財産とされた。ディリビトリウムはそれまでに建設された単一の屋根を持つ建物としては最も大きかった。確かに、今は覆いの全てが破壊され再び設置し直すことができないので建物は空に向かって大きく開放している。アグリッパは建設中のままに残し、このとき完成した。しかし、競技場も装飾したアグリッパの姉妹のポッラが建てていたカンプスのポルティクス*15はまだ完成していなかった。その間、アグリッパを記念して葬儀の剣闘士試合が行われた。アウグストゥス以外の全ての人が黒い服を着ていた。アグリッパの息子達も同じだった。1対1の戦士の試合だけではなく、同人数の集団同士の戦いもあった。試合はアグリッパを記念するためとフォルムの周りの多くの建物が焼失したためにサエプタ*16で催された。火災の責めは債権者達が負わされた。彼らは債務をかなり失ったので債務の免除が目的でこの火災を企んだものと疑われた。しかし彼らは火災からは何も得る物がなかった。通りは市民から選ばれた管理者に委ねられ、彼らをクラトレス・ウィアルムと呼ぶ。彼らは、管理地区において特定の日に限って公式の衣服と2人のリクトル*17が認められ、以前はアエディリスと関係があった火災から建物を守るための奴隷組織の監督権を与えられた。しかしアエディリス*18はトリブーヌス*19やプラエトル*20と共に14区に分割された首都全体の管理を籤によって担当していた。これは現在まで続いている。以上がこの年に起こった出来事の全てだった。というのもゲルマニアでは述べるに値することは何も起こらなかったからだ。