『ローマ史』55-10 (4)

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アエギュプトゥス*1から彼らに向かって行軍した他の者達、そしてプラエトリアーニ*2からのトリブーヌス*3が派遣されるまで屈しなかった。この男はそのうち彼らの進入を監視したのでその結果、長期間元老院議員はこの地域の諸都市を管理しなかった。これらの出来事と同時にゲルマニア*4で反乱が起こった。少し前のこと、ドミティウス*5がイステル河*6沿いの地区を統治していた時に、何らかの理由で土地を離れ別の場所を求めて彷徨っていたヘルムンドゥリ族*7を迎撃し、マルコマンニ族*8の領地に住まわせた。それから抵抗もなくアルビス*9を渡り、向こう側の蛮族と友好同盟を結び、河岸にアウグストゥス*10の祭壇を建てた。ちょうどその時ドミティウスは司令部をレヌス河*11に移し、あるケルスキー族*12の亡命者の帰還を護衛しようとしたが、他の人々の勢力圏下を通る際に被害を受け、他の蛮族にローマ人に対する軽蔑心を抱かせてしまった。しかしこれはこの年の作戦の範囲内だった。と言うのもこの時期差し迫ったパルティア*13戦争を考慮して、ゲルマニアには注意が向けられなかったのである。だが、パルティアとの戦争も起こらなかった。なぜならフラタケス*14がガイウス*15がシュリア*16においてコンスルとして活動していると聞き、さらに以前からフラタケスに忠実でない傾向を持っていた国民に疑いを持ったので、アルメニア*17を放棄し、兄弟を海の向こうに残すという条件でローマ人と合意に達することによって彼らの活動を妨害した。