ローマ史第2巻-100節 ユリア追放

世界中がローマの保護者としての地位からのネロ*1の退去を感じていた。 我々との同盟から逃げていたパルティアは、アルメニアを手に入れたが、征服者の目はもうアルメニアの上にはなかった。
しかしローマで、ちょうどアウグストゥスが、ガッルス・カニニウスと共に執政官になり(30年前)*2マルス神殿の奉納の時の剣闘士の見世物と模擬海戦の壮大な光景がローマ人の心と目を充分に満足させていた年に、物語るのも恥ずかしく思い起こすのも我慢ならない、1つの災難が皇帝自身の家庭で発生した。彼の娘のユリアは、偉大な父親と夫に全くお構いなく、浪費や、行為者としてあるいは対象者として女性が有罪となるような欲望、罪となるような条件がそろったときだけ幸運の大きさを測ること、彼女の気まぐれのままに行動する習慣のような恥ずべき行為を試さずにはおかなかった。カエサル*3の寛容の驚くべき実例であったユッルス・アントニウスは、彼の家族の違反者になっただけで*4、彼自身の手で犯した罪に復讐した*5。 彼の父親のマルクス・アントニウスの敗北後に、アウグストゥスは彼の生命を認めただけでなく、聖職者、 法務官、 執政官、属州統治の栄誉を与えた後で 姉*6の娘*7との結婚を通して最も近い血縁関係の絆を認めていた。 クィンティウス・クリスピヌスも厳しい額の裏に異常な堕落を隠した。アッピウス・クラウディウス、センプロニウス・グラックススキピオ、その他の2階級*8に属するが著名な名ではない男達は、カエサル*9の娘やネロ*10の妻の代りに普通の市民の妻を堕落させていたとしたら受けていたであろう処罰を経験した。ユリアは島に追放されて、故郷と両親の視界から消された、しかし実母スクリボニアが同行し、追放の無償の付き添いとして雇用された。


『ローマ史』55-10 (2) - TurkoisYu 緑松石玉

*1:ティベリウス

*2:紀元前2年

*3:アウグストゥス

*4:一般の法律は適用されず、親族内の裁きだけで処分されたという意味か?

*5:自殺した

*6:アウグストゥスの姉オクタウィア

*7:大マルケッラか?

*8:元老院階級と騎士階級か?

*9:アウグストゥス

*10:ティベリウス