ローマ史第2巻-103節 ティベリウスがアウグストゥスの養子になる

カエサルという偉大な名前の希望は去ったが、幸運はすでに国家に本当の保護者ティベリウス・ネロを復帰させていた、彼はプーブリウス・ウィニキウス、あなたの父親が執政官の時にロードスから帰還していた、そして若者たちのどちらかの死の前に、国を喜びで満たしていた。 カエサルアウグストゥスは長い間ためらわなかった、なぜなら彼は後継者候補を探す必要はなく、ただ他者に抜きんでた1人を選ぶだけだったからである。したがって、彼がルキウスの死後まだガイウスが生きていたときに望んでいたことは、ネロ*1自身の強い反対によって実現を阻止されていたが、2人の若者の死後に、内密にも元老院でも本人の反対し続けていたにもかかわらず、ネロ*2護民官職権同僚とすることを強く主張した;そしてアエリウス・カトゥスとガイウス・センティウスが執政官の時の6月27日、ローマ建設754年、27年前に、彼を養子にした。その日の歓呼、市民の中央広場、ほとんどまさしく天国に手を伸ばしたような誓い、永久の安全とローマ帝国の永続への希望、私は包括的な仕事でさえ十分に記述することができないだろう、まして公正な記述を行うことはできない。 私はただどれほどあらゆることについて良い前兆の日であったか述べることで満足するだろう。その日は親たちには子供たちの安全が保証され、夫には結婚の神聖が、所有者には財産の安全が、そして全ての人に安全、秩序、平和と平穏が保証された、本当に、これ以上大きな希望を抱かせたり、これ以上の幸福で満たすことは難しかっただろう。