アッピウス・クラウディウス
塩野七生は次のように書く。
一方、フロンティヌスのローマ水道論の5節には、
アッピウスはガイウス・プラウティウスと共に戸口監察官をつとめ、ガイウスはこの水源となる泉を発見して、ウェノックス(狩人)というあだ名をつけられた。しかし、プラウティウスは1年6ヶ月の任期の途中で戸口監察官を辞めたので、水源もアッピウスが発見したものと誤って伝えられ、水道にその名をとどめる名誉は、アッピウスひとりが担うことになった。*2
LacusCurtius • Frontinus on the Water Supply of Rome
とある。
アッピウスの独創を強調し過ぎない方がよいだろう。
*1:ローマ人の物語〈28〉すべての道はローマに通ず〈下〉 p.20
*2:古代のローマ水道―フロンティヌスの『水道書』とその世界 第三編、pp.5-6