すべての道はローマに通ず〈下〉気になるところ (1)

p.27 落下する力で押し上げるというサイフォンの原理。
完全に間違い。サイフォン - Wikipedia
p.27 谷が広かったり深かったりすると、このサイフォン式は使えなくなる。
『古代のローマ水道―フロンティヌスの『水道書』とその世界』第一編、p.29には反対に水道橋が建設できない深い谷でサイフォンが利用されたとある。
p.27 谷は谷でも下を川が流れている場合は、当然ながらサイフォン式は採用できず。
谷底だけアーチにすれば可能だろう。
p.35 「マルキア水道」も、首都ローマに水を送りこんでいた他の十本の水道と同様に、紀元五三八年の蛮族侵入によって機能を停められてしまう。
p.94 その後も蛮族の侵入はくり返されたので、閉鎖された水道をもとにもどそうと考える者はいなかった。
『古代のローマ水道』第一編、p.78-79によると戦後ベルサリウスがトライアーナ水道、マルキア水道、クラウディア水道を修復したようである。また多くの水道は九世紀以降に送水を止めたと推定されているそうである。
p.38 「テプラ」と言う水道名が水源地からとられている。
水温が温かった事に由来するようだ。Aqua Tepula - Wikipedia
p.47 ケルン…が都市化されたのはアグリッパによる。ローマ時代の名は、コローニア・アグリッピネンシス。
名称はアグリッパの孫の小アグリッピナに因む。塩野七生にしてはうまいトリック。
p.51 アルシエティーナ水道の目的は工業用水供給、模擬海戦ではない。
フロンティヌスはよくわからないと言っている。『古代のローマ水道』第一編、p.49を見ると水は全て市外で利用されている。塩野七生の考えでは市内の第14区で使われたことになり整合しない。
p.58 ローマの法王庁は、水は重宝してもその水を送ってくる水道の名に、皇帝の名を冠し続けることは嫌った。
『古代のローマ水道』第一編、p.82には導水管がほとんど新設されたとあるので、改名はそれほど変ではないだろう。
p.58 十一本目の、そしてローマ最後の水道が「アントニニアーナ水道」。
ひどい間違い、アントニニアーナ水道はマルキア水道の支線である。正しくはアレクサンデル・セウェルス帝のアレクサンドリナ水道。
p.65 上下ともの水道には無関心だったギリシア人。
ひどい間違い、例えばアテナイでは紀元前6世紀から上下水道は発展し続けた。
p.66 用地は、私有地であれば買収である。
正確には買収後、区分けしてからまた売却している。



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Waters of the City of Rome