『ローマ史』55-13

人々はアウグストゥス*1に娘の追放の解除を非常に強く要求したが、火と水が混じり合うまでは解除しないと答えた。そこで人々はティベリス河に多くの松明を投げ込んだ。その時は何ら成果はなかったが、後に彼女が少なくとも島から本土に移される圧力にはなった。その語、ゲルマニアで戦争が起こったが、アウグストゥスは老齢と病のため体力が疲弊しており、戦闘を開始できなかったので、アウグストゥスは部分的には状況の力によって、別の部分ではその時追放から解除されていたユリア*2の説得に屈してティベリウス*3を養子にしただけでなく10年間のトリブーニキア・ポテスタス*4を与えてゲルマニアに派遣した。ティベリウスが何かの拍子に平静を失うことを疑い、反乱を起こすことを恐れて、ティベリウスに実子がいたにも関わらず、甥のゲルマニクス*5を養子にさせた。この後アウグストゥスは後継者と支持者を得たと感じ、勇気を得て、元老院を再編成することを望んだ。そこで最も尊敬する10名の元老院議員を指名し、そのうち籤で選ばれた3名を元老院議員の資格検査の役に任命した。大勢ではなかったが影響を受けた者はおり、従来のように3名に失格を宣告する権限が許されその方法が適用された者、あるいは意志に反して名前を抹消された者がいた。この時アウグストゥスは他人をこの任務に就けた。彼自身はケンススを実施した。しかし最低20万セステルス*6の財産を保有するイタリアの住民に限り、治安の乱れや反乱を恐れて、貧民やイタリア外の住民をリストに入れることは強制しなかった。また、以前に言及した理由によって、ここでケンソル*7の立場で活動しているように見せないために、ケンススを完了し、大祓*8を実施する目的でプロコンスル命令権を受領した。元老院議員階級の若者や騎士階級の若者の多くが彼ら自身の責任によらず貧困であったので、アウグストゥスは彼らのほとんどを必要額が満たされるように引き上げた。例えば80万の場合は人の財産を120万セステルスに増加させた。さらに大勢の人が奴隷を無差別に解放していたので、解放者と解放される奴隷にも年齢制限を設定し、一般の市民の関係と解放した奴隷に対する元主人とを扱う法令を定めた。

*1:アウグストゥス - Wikipedia

*2:リウィアの間違い?

*3:ティベリウス - Wikipedia

*4:護民官 - Wikipedia

*5:ゲルマニクス - Wikipedia

*6:=セステルティウス。銅貨

*7:監察官 ケンソル - Wikipedia

*8:condidit lustrum。ケンススの最後に行うお祓い