『ローマ史』55-05
しかし翌年*1アシニウス・ガッルスとガイウス・マルキウスがコンスル*2を務めた年、アウグストゥス*3は公式に帰都し、慣習*4に反して月桂樹*5をユーピテル・フェレトリウス神殿*6に奉納した。彼自身の前述の功績を祝う祝祭は行わなかった。勝利によって得た物よりもっと多くの物をドルスス*7の死によって失ったと感じていからだ。しかしコンスル達はこのような場合に通常行われる儀式を挙げた。捕虜同士を戦わせる見せ物もあった。その後、コンスルとその他の政務官が選挙において贈賄があったとして告訴されたが、アウグストゥスはその事件を調査しなかったのみならず、そのことを全然知らない振りさえした。というのも、彼らの誰かを処罰することも望んでいなかったし、彼らの有罪が確定した時にそれを赦免することも望まなかったからである。しかし、政務官立候補者に対しては、違法行為があった場合に没収される供託金を選挙に先立って納めさせた。この施策は全て承認されたが、アウグストゥスの他の法案にはそうならなかったものもあった。奴隷を拷問してその主人に不利な証拠となる供述を得ることは認められていなかったので、アウグストゥスはその必要が生じる度に奴隷を国家やアウグストゥスに売却するよう命じ、奴隷がもはや被告の財産ではない状態にして尋問可能にした。奴隷の主人の変更によって法律が無効にされることを非難した者もいたが、他の者は古い取り決めを利用した抜け道を知っており、皇帝や政務官に対する陰謀にも利用できるので賛成した。