『ローマ史』55-06

この後アウグストゥス*1の2度目の10年任期が完了したので、もう一度最高権力*2を受理した。それを所持する希望を公にしていたにも関わらず、渋って見せた。ゲルマニアへの軍事行動が計画されたが自らはローマの領域に残り、ティベリウス*3がレヌス河*4を渡った。スガンブリー族*5以外の蛮族は恐怖から和平の提案をした。だがこのとき彼らは何も得るものがなかった。というのもアウグストゥスはスガンブリー族が参加しない停戦協定を結ぶことを拒否したからだ。それは後になっても同じだった。確かにスガンブリー族も大使を派遣したが任務を遂行したとはとても言えず、その上数多くの著名な人々からなる大使の全てが予期せぬ最後を迎えた。というのもアウグストゥスが彼らを捕縛し、様々な都市に勾留したからだ。彼らは苦しみの余り自ら死を選んだ。スガンブリー族はしばらくは平穏にしていたが、後に大惨事の形でローマ人に十分に報いた。加えてアウグストゥスは勝者としてではなく兵士達に金銭を施したが、自分自身はインペラートル*6の称号を手にし、ティベリウスにも与えた。ガイウス*7が初めて演習に参加した記念だった。アウグストゥスティベリウスをドルスス*8の代わりに司令官の地位に進めインペラートルの称号を与えることに加えてもう一度コンスルに任命して名を挙げさせた。そして古い慣習に従って政務官につく前にティベリウスに布告を掲示させた。アウグストゥスティベリウス凱旋式挙行の栄誉も与えた。自分自身で祝いたくなかったが、誕生日の度に競馬競技開催で祝う特権を得た。ポメリウム*9を拡大し、セクスティリス*10と呼ばれていた月の名をアウグストゥスに変更した。市民は一般にアウグストゥスが生まれた月であるセプテンベルを改名することを望んだが、本人は初めてコンスルに選ばれ、多くの大戦に勝利したこの月を好んだ。これらの業績を誇りに感じていたのである。